こんにちは。一日一服はお茶を飲みたい松下です。
立冬も過ぎましたが、暖かい日が続いています。
お茶会もそこかしこで開かれるようになってきたようです。
お茶会のお席では、床の間に掛け軸が掛かっています。
その茶会にふさわしい禅語(ぜんご)が書かれたお軸を亭主が選んで掛けています。
そこで、禅語とは何ぞやって思いますよね。
禅語とは、禅宗(ぜんしゅう)の言葉です。
禅宗とは、簡単に言えば、宗教の一つです。
インドで生まれ、達磨(だるま)さんが中国に持っていって、それから、日本に入ってきました。
日本では、飛鳥・奈良時代には伝えられていていました。しかし、あまり普及しなかったようです。
鎌倉時代に、中国からさかんに伝えられ、鎌倉・京都を中心に展開し、宗派を作り、教団のようになっていきます。
室町時代には各地にしっかりとした宗派が出来ています。
鎌倉時代に伝えられた禅、四十六伝の内、その中で流派をなしたのが、二十四流ありました。
現在では、そのうちの二流だけが残っています。
曹洞宗(そうとうしゅう)と臨済宗(りんざいしゅう)です。
「禅と茶は、根本では同一のものである」とよく言われます。
禅の教えは常に茶道のすすむべき道として考えられてきたのです。
そのようなことから、お茶席には禅語が書かれた掛け軸が掛けてあるんですね。
この禅語の意味がわかるようになるとまた楽しいと思います。
今日は有名な
「和敬清寂」わけいせいじゃく
茶道の祖・村田珠光のことばとされています。
また、利休の茶の精神をあらわす四つの規範(四規)です。
- 和…お互いに心を開いて仲良くする
- 敬…尊敬の敬。お互いに敬い(うやまい)あう
- 清…清らか。目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということ
- 寂…どんな時にも動じない心
茶道と禅の真髄、茶と禅の道は同じと考える茶禅一味の理想的な境地を簡潔に表したものです。
和にはじまり、敬・清を通じて深まり、寂滅(じゃくめつ)の境地、つまり悟りの境地に至って、それぞれの事物がその立場を保ちながら、完全に溶け合って一体となり、お互いに妨げになっていない。完全に円満な状態であることの一番大切な核心を表した言葉です。
なんとも目が眩みそうな壮大な言葉ですね。
お茶だけでなく、普段の生活でも人間関係や自分のいる空間も、まさにそんな感じになれば、なんとも心地よいことになるでしょう。
なかなか難しいですが、お茶会に行くと、そんな世界を感じられる時があるかもしれません。
またたまに禅語を紹介していこうと思います。
ではでは、また!!
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